ウイスキーが出来るまで。 余市蒸溜所編 「前篇」 ウイスキー買取ならみっけ

 

 

みなさんは、ウイスキーがどうやって生まれるかご存知でしょうか?

まず、原材料となる麦芽をつくるために大麦を水に浸して、適切な温度に保つと発芽して芽と根がでてきます。

ウイスキーづくりは・・・いや酒造りは恋愛に似ているという説もあります。

穏やかにじっくりと時間をかけた、大人の恋愛ですね~

お酒も恋愛と同様に信念と努力を兼ねそろえた愛情が必要とされています。

そこで、名前が挙げられるのがニッカウイスキーの創業者でもある竹鶴政孝氏です。

竹鶴政孝氏は(以後政孝氏)大正7年に英国に渡り、知人もいなく言葉も通じない異国で、日本人で初めてウイスキーづくりを学んだといわれています。

ウイスキーづくりの話に戻りますと、まず乾燥機によって麦芽を乾燥させます。乾燥はただ乾かすだけでなく、2階建ての建物の1階で炊いた煙で2階の大麦をいぶします。

大麦は約一週間ほどで発芽を止め。乾燥塔内でピート(草炭)の煙にいぶされ、ピートの煙は床をとおって麦の一粒一粒の芯のそこまで移り香をしみこませます。

麦はピートの移り香を吸って、ウイスキー独特の香りを身に着けます。

政孝氏は、飛び込みで留学という無茶な行動をするわけですが、当時世界中で酒造りはどこでも保守的な職人の世界の中、簡単には技術を教えてもらえませんでした。

大麦の乾燥も煙と暑さで地獄のような作業ですが、でもそんなつらい仕事を率先してやることで、信用を得たといわれています。

政孝氏は、日々ホームシックにも苦しみながらも、明治生まれの日本男児として、頑張ってきました。

乾燥機を経て、次は糖化棟・発酵棟へと進んでいきます。

が・・・もう少し政孝氏について触れていきます。

1919年のクリスマスに政孝氏は上の画像にある、リビングルームにて、運命の転機に出会います。

明治27年に広島県の竹原市に日本酒蔵の3男として生まれた政孝氏。

大学卒業後日本でも本物のウイスキーを作りたいと考えていた摂津酒造に就職。

これを機に単身スコットランドグラスゴー大学に留学します。

ホームシックにも苦しみながら、柔道を通じて開業医一家と親しくなります。

一家には3人の姉妹と末っ子の長男がいました。

そのうちの長女であるリタ氏がのちに、政孝氏の妻となります。

もともと親日家であった一家ですが、政孝氏がウイスキーづくりを学んでいなければ、親しくはならななかったといわれています。

そして、二人が互いを強く意識し始めるのが、先程のリタ家のリビングルーム(今は余市蒸溜所に再現されています)。

きっかけは、昔イギリスではクリスマスに切ったケーキの中から6ペンスの銀貨が出てきたら、お金持ちになれる。

ケーキの中から、洋裁につかう指ぬきがでてきたらいいお嫁さんになれる。

という占いでした。

 

そして、独身の男女の場合、二人は結婚することになるんです。

政孝氏のケーキからは銀貨が、リタ氏のケーキからは指ぬきが現れたといわれています。

 

※こちらの文章は、さまざまな文献から参照させて頂いております。

 

今回は、とりあえずここまで~♪

 

続きは、また明日おおくりいたします。

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