【余市】
《おいしいウィスキーを作りたい。男は余市に理想郷を見つけた。ウィスキー作りに奔走した若き日の竹鶴政孝》
『50年前、頭の良い日本青年がやってきて、一本の万年筆とノートで英国のドル箱であるウィスキーづくりの秘密を盗んでいった。』
1962年、英国のヒューム副首相が来日した際に、こう語った。
日本青年とは『ニッカウィスキー』の創業者、竹鶴政孝のこと。作り酒屋に生まれ、醸造学を修めたのち入社した『摂津酒造』で、『本格ウィスキーづくりの技術を習得してきてほしい』と言われスコットランドへ。しかし、1921年に帰国した竹鶴を待っていたのは、深刻な戦後不況だった。スコットランドで学んだ本格ウィスキーづくりの計画を断念しかけた折、寿屋(現・サントリー)の鳥井信次郎と運命の出会いを果たす。鳥井も、国内で本格ウィスキーの国内製造を企画しており、スコットランド帰りの竹鶴に目をつけていた。
『どうしても本格ウィスキーをやってみたい』という鳥井の申し出を受け。1923年、竹鶴は寿屋に入社。大阪の山崎蒸留所の設立に関わるなど、本格ウィスキーづくりに尽力した。10年の契約期間を経て寿屋を退社した後、かねてより、ウィスキーづくりに理想的な土地と見込んでいた北海道・余市に『大日本果汁株式会社』を設立。現在のニッカウィスキー余市蒸留所の前身である。
現在、余市蒸留所では、竹鶴がはじめた当時のままの製法は、彼がスコットランドで学んだことを、精密なイラストと文章でまとめたレポートにすべて書かれている。これが、英国ヒューム副首相の言葉にもあった、通称”竹鶴ノート”だ。
本日はここまで
ではでは、次回余市の歴史VOL2で又、お会いしましょう!
※今回お話した内容は、いろんなページから引用・抜粋させていただいております。
お酒に関しての豆知識なども同時に募集中!!
ぜひこのブログにご意見・ご質問・情報をコメントください!
お酒買取専門店みっけ
〒173-0023
東京都板橋区大山町24-15アーク大山ビル1F
03-6909-5670