【山崎】
『樽熟成という神秘が導いたジャパニーズウィスキーの誕生』
太平洋戦争が勃発すると、洋酒に対する統制や制限が厳しくなり、さらに空襲によって本社や大阪工場を消失。
山崎蒸留所は無傷だったが、大きな打撃を受けた所へ次男の佐治敬三が復員。敗戦後の混乱の中、闇市ではカストリ、バクダンといった質の悪い酒が出回っていた。これを憂いた敬三は、安価でも品質のしっかりとしたウィスキーを提供出来ないかと考え、グレーン原酒をブレンドした低価格ウィスキーの製造を提案。モルト原酒にこだわりを持つ信治郎だったが、敬三の思いは理解できた。敗戦の失意と虚脱に沈んだ国民に、安くても美味いものを提供しようと決意。幸いにも戦火を免れた山崎の貯蔵原酒をベースに、終戦の8ヶ月後『トリス』を発売した。『うまい、安い』のキャッチフレーズで圧倒的に支持され、トリスバーが大人気に。一般家庭でも洋酒に親しむ人が増え、ようやく日本にも洋酒時代が訪れた。
その後、さらに品質に磨きをかけた銘柄が続々と登場。1961年にはアメリカでサントリーがジャパニーズウィスキーとして初のラベル登録承認を受け、ついにスコッチ、アイリッシュ、カナディアン、アメリカンと並ぶ世界五大ウィスキーとして認知されるまでに至った。
そして1984年(昭和59)年、日本発のモルト原酒100%ウィスキーとして『山崎12年』を発売。次第に評価が高まり、権威ある賞を次々と受賞するなど、山崎の長期熟成プレミアムウィスキーは、世界が認める評価を得たのである。
本日はここまで
ではでは、次回余市の歴史VOL1で又、お会いしましょう!
※今回お話した内容は、いろんなページから引用・抜粋させていただいております。
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