プログラムピクチャーの流儀 『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』
こんにちは。辻村です。
お正月に見た映画なんですが、鈴木清順の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1963)を久々にDVDで見ました。
殺しの烙印の4年前の宍戸錠
この作品は、1963年に公開された日活の犯罪アクション映画です。鈴木清順は1967年の『殺しの烙印』で日活から『わけのわからない映画』というレッテルを貼られ、解雇されてしまいます。その事件をきっかけに鈴木清順問題共闘会議が発足し、裁判に発展していきます。。。。そこから10年映画を撮れなくなるのですが、じゃあ実際殺しの烙印が『わけのわからない映画』かといえば、非常にスタイリッシュでカッコいい、鮮烈な映画ではあるけど、『わけがわからない映画』もでないし、前衛的な芸術作品でもないというのが私の印象です。ご興味ある方は、一度は『殺しの烙印』をどうぞ。宍戸錠の強烈な個性とカッコよさ、真理アンヌの妖艶な美しさがスリリングに描かれた傑作です。
その『殺しの烙印』で主演を務めた宍戸錠が探偵事務所23の所長を演じているのですが、このコンプライアンスに厳しい令和2年では考えられない、世界観です。だって警察署の前に拳銃を持ったやくざ達が待機していても捕まらないという。法治国家でなく放置国家。
無駄な説明はしない
そんな状況に窮した警察に自身がおとりになり潜入捜査を提案する、宍戸錠。(目的はお金です。)そして警察はその提案を受け入れざるを得ないのでありまして。こうして、物語はスピーディーに展開していきます。なんて言っても90分を切ってるプログラムピクチャーなので、いちいち導入部分であーだこーだを無駄に説明しているひまはありません。
この導入部分で色々とこれでもかと説明してくる映画が苦手です。例えば、主人公がなぜここにやってくるのかを延々説明するだけのショットが続いたりされると退屈します。とにかく主人公はなんだかよくわからないがここにやって来た。そこからはじめてください。と言いたくなる時が良くあります。そういう無駄のないプログラムピクチャーで育ってる身としてはそういう風に思ってしまいます。これは好みと思いますが、説明のつかないことや、整合性のないことなんて現実世界にいっぱいあるわけだし。
そんなわけで、鈴木清順の犯罪活劇はどれもこれも面白いというか突出した魔的なシーンが必ずどこかでさく裂するのですが、この作品も唐突にミュージカル化する狂った場面にゾクゾクしたり、(男女の関係性を説明ではなく歌唱で表現する)無駄のない展開と、緊張感のある二項対立を宙づりにしてしまうような牧歌的なギャグが飛び出したりと非常に楽しい作品です。いかにも清順的な幽玄な世界はまだまだ確立していない頃ですが、それがまたある種爽やかでよかったです。今年はこういうプログラムピクチャーをたくさん見たいと思います。
本日は以上です!