2020年1月4日
映画『人情紙風船』の崇高さにめまいがするお正月
新年明けましておめでとうございます。辻村です。
今年も今日から仕事はじめなのではりきってやっていきたいと思います。
お正月はどのように過ごされましたでしょうか?僕は映画を3本見て、本を2冊読みました。
インプットの正月でした。もちろんお餅とか、おせちとかもたっぷりインストールしたのでした。年末に近所のファミマで、白州の180mlを2本見つけまして、全部飲んでしまいました。久々に飲んだ白州はめちゃ美味かったです。品薄状態が解消されて普通に飲めるようになりますように。というわけでお酒もしっかりインストール済です。
さてそんなお正月に久々に見た傑作について書いてみたいと思います。
人情紙風船の崇高さにめまいがするお正月
山中貞雄の『人情紙風船』を久しぶりに見ました。日本が世界に誇る孤高の映画作家、山中貞雄さんは明治42年生れで昭和13年に日中戦争で戦病死されました。この『人情紙風船』は、現存する山中さんの3作品の中の1本で、昭和12年の最後の作品として映画ファンにはつとに有名な作品です。
ある長屋に暮らす人々の悲喜こもごもを素晴らしいリズムと絶妙な省略で語る町人のお話です。10年以上ぶりに見ましたが、やはり感激しました。
時は江戸時代。物語はある長屋でお起こった浪人の首つり自殺から始まるのですが、その浪人のお通夜をやろうと大家さんにけしかけておごらせ、飲めや歌えやの楽しい酒席が始まります。なんという牧歌的な世界なんだろうと思うのですが、ここで描かれてる世界は長屋とその長屋が含まれる町に限定されていて、この小さなコミュニティが世界のすべてです。
この小さな世界の中で描かれる長屋というのは『家』と『外』の境界線が曖昧で人々がもたれ合うようにして暮らしているそれ自体がコミュニティであり世界のすべてです。誰もが簡単にとなりの家にアクセス出来る裏庭。戸口の外にはいつも誰かが行きかっている。家の中も外もたいして変わらない。そんな舞台装置が長屋です。江戸時代が終わり、鎖国が解かれ、藩は廃止されました。江戸時代に生きる人々にとっては、日本なんて概念はなかったんだなというのがこの映画を見るとよくわかります。
だれも日本なんて、国のことなんて考えてない。各藩があってその藩の中で自分達が暮らすコミュニティがあって、それがほとんど世界のすべて。非常に良く出来たシステムです。中心があるようでない。物理的に寸断されていて、通信することも出来ない世界です。
この長屋に暮らす浪人の海野又十郎は仕官の道を求めて父の知人の毛利三左衛門を何度も訪ねるのですが全く相手にされず、今でいうところの反社会的勢力によって追い返されたり、邪険にされ、ついにはもう来るなと言われます。又十郎の妻は紙風船を作る内職をしています。妻に心配をかけまいと何とかなりそうだと妻に嘘の報告をしているのですが、一向に仕官の話は進まず。。。
一方、個人で賭場を開いて反社会的勢力に追いかけられている髪結いの新三は、金に困って、髪結いの道具を質屋に持ち込むがこんな道具では金は出せないと断られる。
毛利三左衛門は、その質屋の娘を高家の武士の嫁にしようとたくらんでいる。
そんな感じで、長屋の周辺で起こってる出来事自体はどう考えてもどこにでもある、そこら辺に転がっていそうな出来事ばかりなのですが、一つ一つのエピソードがある時繋がってこれもまた内側も外側もない一つのストーリーとして紡がれていくのですが、画面のつながりのリズムの心地よさと不意に映し出される無人のショット、画面を盛り上げる決定的なシーンをバッサリと省略してしまう編集。そのすべてが物語を効率的に語るということに奉仕しているのですが、見るものは、心に静かに波紋が広がって、名づけようのない感情に包まれてしまいます。
すぐれた表現は古くならない
80年以上前に作られたこの作品はもちろん古い作品ですが、全く古びない素晴らしい瑞々しい感性にあふれた作品だと思います。すべての日本人、すべての映画を愛する人々に広く見られてほしい作品です。
今年は、出来るだけ見た映画についても書いていけたらと思います。そんなわけで本日は以上です!