間違い探しをしている時間はない
こんにちは。辻村です。
先月くらいだったかな、忘れましたけど、会社の近くのサイゼリアが、改装工事してたんですが、最近リニューアルオープンしたので、たらこソースシシリー風でも食べようと思って行って来ました。外壁が黄色に変わってた。あの表現が難しい色の壁から。で、安定のたらこソースシシリー風と、辛みチキンというといういつもと変わらないオーダー。
ついそれを開いてしまった
サイゼリアと言えば、キッズメニューの見開きが間違い探しになっていることをご存知でしょうか?あの間違い探し難しいでおなじみなのですが、凄く久しぶりに来たので、間違い探しも初めて見るものだったので、なんとなく見始めてしまいました。
この間違い探し。非常に難しいのです。いつも6個か7個めあたりから難しくなって、最後の1個とかマジでわからないことが多い。ググって答えを知る時のあの屈辱感がなんとも言えません。
なんとなーくこの間違い探しを眺めていて思ったのですが、間違い探しって、「正解」があるから「まちがい」があるのであって、ブランドの真贋とかもそうだけど、「本物」があるから「査定基準外」が認識できるわけで。
あのブランドかな?と0.1秒思いました。#超わたし#買取不可 pic.twitter.com/t2GphUnQ1X
— 辻村康 柏みっけ リユースで世界を豊かにする (@kotsujimura) September 15, 2019
非常に良くできてるというか、ほとんど変わらないbeats。左が正規品。これ正規品を知らないとコピーはわからないと思う。そのくらい精巧に出来てる。比べればまがい物だとわかるけど。しかしまあよーやるわ。めんどくさすぎるね!beatsは要注意。 pic.twitter.com/twFM2rVOKR
— 辻村康 柏みっけ リユースで世界を豊かにする (@kotsujimura) October 18, 2019
だけど現実はいつもひとつしかない
これが正しい、これがまちがい、そんな風に●xクイズみたいに人生進んで行かない。AとBという結果がわかっていて、何をすればAで何をすればBなのか、まるで分らない。だれもわからない。むしろAという結果を得たいからそのためにはこれをやってみる。Bという結果にしたくないので、●●をやめてXXをやってみる。みたいに現実ではっきりさせられるのは『行動』だけだなーって思う。仮説を立てるという時のこの仮説=ゴールが現実化されるかどうかはまるで分らない。わかるのは、結果を引き起こすために『行動する』その行動だけ。結局やってみなければ何もわからない。仮説を立て行動を組織していく。何度も何度もやっていくうちに色々なデータが集まり、仮説の立て方も変わるかもしれないし、その精度は上がる可能性が高い。
だからこれが正解か、間違いか、、、と考え止まっていても価値がなくて、だからこそやるって風にしていかないと、『結果は見えてこない』それが正解か不正解かは正直だれにもわからないし、変化の激しいこの時代において、昨日の是が今日の非となることもある。今の常識を疑い、思考停止することなく、自分で考えて意思決定することにこそ価値がある。
したり顔で、ほらここが間違いだよ!とか言ってる場合じゃないですよね。あっという間に時間は過ぎていく。そんなことをしてる暇があれば、一つでも多く行動することの方が価値があるよな。ほんとに。
間違い探しは2つの絵を見比べるからわかるが、現実は1つだ。単に現実があるだけ。やってみなければ正解かどうかわからないし、変化が激しい今は昨日までの正解が簡単にまちがいに入れ替わったりする。逆もまた然り。間違い探しをしてる暇はないのだ。#見つけられな言い訳#あと1個がわからず pic.twitter.com/xsjrOMjEjZ
— 辻村康 柏みっけ リユースで世界を豊かにする (@kotsujimura) October 28, 2019
まさか、遅刻の理由に「ごめんごめん、サイゼの間違い探しに夢中になっててさー」なんて言えるわけないので、ラスト1個がみつからないまま、午後一の打ち合わせに向かったのでした。