木乃伊の恋 ~ミイラ「永遠の命」を求めて~
こんにちは。辻村です。
上野の国立科学博物館で、『ミイラ「永遠の命」を求めて』展をやっているので見に行ってきました。
基本的にミイラに興味があります。なぜ?と言われてもよくわかりませんがとにかくミイラを見たいという欲望があります。
ミイラは乾いてる
深く考えたことはありませんが、かつて「怪物くん」という藤子不二雄Aさんの作品で包帯グルグル巻きのミイラ男というのがいて、たぶんそれで最初にミイラというものを認識したとおもうのですが、その後に、キン肉マンのミスターカーメンの必殺技、ミイラパッケージというキモい技(包帯で相手をグルグル巻きにしてストローで体内の水分を吸い取るという)でミイラというワードに再会して、ミスターカーメンの元ネタ、ツタンカーメンとかピラミッドとかを知り、その後、一連のハマーフィルムのミイラもの『ミイラの幽霊』『怪奇ミイラ男』『ミイラ怪人の呪い』を見てハマった経験があるので、ミイラに惹かれるのかなと思うのですが、科学博物館はけっこう混んでて、なんだよみんなミイラ好きなんじゃん?って思いました。
どんな生命もいつかは命は尽きるわけですが、死後の世界を体験することは基本的に難しいとされています。死後にいったいどうなるのか?いやどうもならんよ。消えるだけ、という人もいれば、生きていた時にどうだったかで死後が決まるという人もいれば、輪廻転生するという人もあり、色々です。それはどこまでいってもフィクションでしかありません。だれも事実を提示できない。死は怖いですが、すべての人が死ぬわけなので、避けようのないことでもあります。みんないつか死ぬ。これは事実です。
ミイラというのは死して朽ちていく肉体への執着なのかなと思っていたりしたのですが、何千年も前に亡くなった方が自然にか意図的にかミイラ化した姿を見て何かがわかるわけでも理解できるわけでもありませんが、再生への願いや何らかのロマンを感じざるを得ません。それもまた至極人間的な解釈です。具体的なミイラが目の前に存在していると、この人はどんな人だったんかなーとか、この子供はどうして意図的にミイラにされたのかなーとか色々な想いにとらわれます。意味があふれ出します。が生き物の生とはもっとシンプルなはず。生まれて、食べて、育ち、性交して、子を産み育て、死ぬ。意味などないはず。でも意味があふれてきてとまりません。
先日小藪さんのポスターが良くないってなって使用しない方向らしいですが、何が問題なのか僕には全然わかりませんでした。謎でした。家族や患者に対する配慮がないという声があったと聞きますが、僕はそれは捉え方なんじゃないかと思いました。考えるきっかけを作るために知ってもらうという意味では成功と言えるかもしれませんが。こういう表現を配慮がないって言ってたら何も表現できなくなるし、何も言えない窮屈な社会になると思う。だって人はいつか死ぬじゃん。大切な人も死んでほしくない人も、自分も死んじゃう。それって特別なことじゃなくて、自然のことなんだよね。でもどうも性や死という話題はタブー視されて批判される傾向があるように思うんだが。
『木乃伊の恋』を見よ
1970年のテレビ用作品で鈴木清順監督、田中陽造脚本、であの大和屋竺さんがミイラ役で登場する伝説的な作品で、ミイラをめぐる性と死の怪奇作品です。厳しい修行の果てに入定し即身仏になった高僧のミイラが掘り起こされ、よみがえるのですが、蘇った太和屋さんはただのセックスマシーンだったという(笑)その物語が渡辺美佐子の人生とシンクロして、人間と人間ならざる者が行きかう日本の怪奇作品の名作。ミイラ展を見ながらこの作品を思い出してました。大人のための作品です。大人たるものこれを見よう。
生きているって素晴らしい
とかなんとか言っていますが、らーめん食ったー
上野の鴨 to 葱に初めていけました。生きてるとこういう美味しいらーめんが食べられるのは素晴らしいことですね。鴨の上品な油が溶け込んだ香り高いスープと細ストレート麺、穂先メンマと白ネギと分葱、鴨のコンフィ。見事に調和していました。どんどん火が入るので、コンフィは早めに食べた方が美味しい気がします。
そんなわけで結局らーめんの話になった。