2019年12月28日
映画『テッドバンディ』を見て90年代が呼び起こされた
こんにちは。辻村です。
映画「テッド・バンディ」見てきました。
あの頃、最も興奮した映画が『羊たちの沈黙』だった
90年代に青春を過ごした僕にとって、大好きだった映画があります。ジョナサン・デミの『羊たちの沈黙』(91年)です。これはほんとに影響受けました。何回も何回もレンタルビデオで見ました。マジで何回も。最近も去年くらいに久しぶりに見ました。大人になったので、今見ると色々思うところもありますが当時ほんとにこんなカッコいい映画あるんかいな?と夢中になりました。
日本では猟奇的殺人と言えば何と言っても89年に逮捕された宮崎勤の事件がありましたので、そのイメージと大きくかけ離れたレクター博士に異常に頭のいい得体の知れないキャラクターとしての魅力を感じました。というか、このおっさん(A.ホプキンス)ってもうレクター以外の仕事出来るのかな?と思えるほど、キャラクターとぴったり一致している印象を持っていました。レクター博士のキャラクターづくりの中でモデルの一人となっているのが、元祖シリアルキラー、テッドバンディです。
マーダーケースブックが発売された時代
その後、95年にデアゴスティーニのシリーズで出た『マーダーケースブック』というのも読んでました。90年代というのは、キラッキラした80年代の反動でどうしようもなくささくれてた。何と言っても現実的に松本サリン事件(94)、地下鉄サリン事件(95)とか一連のテロ事件があり、忘れがたい村井秀夫刺殺事件があり、あの頃はびっくりすることがほんとに起こってた。そんな時代に出たんだよなマーダーケースブック。バブルもはじけて暗かったんだよな90年代って。80年代的なものへのアンチテーゼというか。反体制なムードだった。映画で言うとJホラーブームが90年代後半に『女優霊』『CURE』『リング』とかの伝説的な作品が次々と公開されて。
そんな世相を反映してか、猟奇的なものに対する怖いもの見たさなのか、単なるファッションとしてなのか、マーダーケースブックも結港色々な人たちに読まれていたと記憶しています。
テッドバンディには深刻な闇を感じる
シャロンテート事件のチャールズマンソンや衝撃的な集団自殺事件で知られる人民寺院のジムジョーンズ(マンソンもジョーンズも音源あります。カルト作として一部の愛好家に人気があります。オウムも音楽ありましたね。)、ジョンレノンを撃ったマークチャップマンなど音楽好きのフィルターをかけながら読んでたんですが、テッドバンディというやつはちょっと得体がしれないというか、全く理解できない精神性というか、そういう深刻な存在として読みました。
だって自分が裁かれる裁判で自分を弁護するってどう考えても、狂気ですよ。自分は無罪であるという一点張りだったわけで、70年代当時、DNA鑑定とかなかったから決定的な証拠が出せなかったというのもあるのだろうけど、そこまで自分の無罪を主張できるというのは、自分がしたことをたいしたことでないと思ってる節があって、それが理解を難しくさせてるように感じるのです。
通常苦しんだり、自分に対する嫌悪が出てきたりすると一般的には考えるのですが、全く違う考え方、価値観の持ち主であったとしたら、罪の意識など感じるわけもなく、それが酷く深刻だと思います。同じ土俵にいないので。内面というのは見えないので。相手のアウトプットからしか相手を知るすべはないのですが、そのアウトプットが本物であるかどうか、結局はわかりません。心に傷を負ってないとしたら良心の呵責にさいなまれることもないという。原理主義テロリズムとも違って、個人の世界ですからね。ちなみにそしてこの作品、スプラッターな描写や、テッドバンディの残虐で理解しがたい猟奇性について全く映像としては描かれていません。
個人の時代と言われる2019年の地点からこの事件について考えてみると時代背景も含めて非常に興味深い1本でした。