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【 2017/12/18 現在買取価格 】
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★ペリーと共に日本にもたらされたウイスキー
ウイスキーの世界的なコンクールで高評価を得るなど、ジャパニーズウイスキーに対する注目が集まっています。世界5大ウイスキーの一つに数えられるだけに、このことも当然と思われるかもしれませんが、他の4つの産地が「西洋」であることに対して、日本だけが「東洋」。そして他と比べて、ウイスキー造りの歴史は非常に浅いものでしかないのです。
1853年に来航したペリーは神奈川県浦賀沖に来航、現地の奉行や通訳を艦内で歓待した際にウイスキーを振る舞ったとされています。この奉行や通訳が記録上、最初にウイスキーを口にしたとされる日本人。ペリーは時の将軍・徳川家定に対してもウイスキーを樽で献上したといいますから、ペリー来航が日本とウイスキーの最初の出会いだったといえるでしょう。
しかし日本人には馴染みの薄いウイスキー、その後しばらくは日本に居留する外国人や物好きな日本人のために、ごく少量が輸入されていたに過ぎません。
「ニッカウヰスキー」の創業者、竹鶴政孝氏の例を引くまでもなく、ウイスキーに取りつかれると、ちょっと常人では理解できない次元まで到達してしまうものなのですね。
だって、考えてみてください。
増産したくてもできずに、倉庫には数10年後の出荷を待つ原酒が積み上がっていくのみ、という商売ですよ。そりゃあ、普通の人には務まらないと思うのです。
俄然注目を集める「イチローズモルト」を手がける、ベンチャーウイスキー社の肥土伊知郎氏も、ウイスキーに取りつかれた一人。
彼が生まれたのは、ウイスキーの生産も手がける歴史ある造り酒屋だったのですが、経営が困難になり、他の酒造会社に買収される憂き目に会いました。
その結果、切り捨てられることになったのが、ウイスキー部門。
「このままでは20年の熟成を経た、ウイスキー樽400個を廃棄せざるを得なくなる!!」
土肥氏が引き受け先を必死で探したところ、福島県・笹の川酒造が引き受けてくれることに。つまり、この酒造会社がなければ、現在のイチローズモルトはないということですね。
肥土氏は笹の川酒造の協力の下、ウイスキーづくりに取組むことを決意します。
ですから、最初期のイチローズモルトのラベルには「製造販売元/笹の川酒造」と入っているもの……このころのボトルには現在、大プレミアが付いています。
造り酒屋に生まれて、醸造科学を学び、ウイスキーの本場・スコットランドへの留学経験もあり、サントリーでの勤務経験もある……経歴からして竹鶴氏とそっくりな肥土氏は、2004年にベンチャーウイスキー社を立ち上げました。
最初はできあがったウイスキーのボトルを手にバーを売り歩く日々、しかし2008年には現在、イチローズモルトを製造している秩父蒸溜所を完成させたというのですから、素晴らしいものです。
そして、できあがったイチローズモルトは海外のコンクールで注目を集め大ブレイク。
中でも世界中のウイスキー好きが愛読する「ウイスキーマガジン」の特集で「ヴィンテージシングルモルト1998」が銀賞、「カードシリーズ・ダイヤのキング」が金賞に輝いたのが人気を決定づけました。
以来、イチローズモルトは予約を受け付けると即完売、プレミア必至というブランドになっているのです。
まあ、ラインナップが豊富なのがイチローズモルト。
例えばカードシリーズはシングルカスク、つまり一つの樽で熟成されたものだけで造られていたりしますから、一つ一つ味わいが違う、さらに大量生産はできない……まあ、全てがそんな調子ですから、そりゃあプレミアが付くのは当然という気がします。
ですから、まあ入門編の「イチローズ モルト&グレーン ホワイトラベル」以外なら、ほぼプレミアが付いているのがイチローズモルトなのです。
ですから、お家に手を付けていないイチローズモルトがあるという人は、実にラッキー。
すぐに、私たちに買取らせてください。
もしも楽しみにとっておいてあるというならば、無理にとは申しません。
でも、ひょっとして? と思われたなら買取価格の査定だけでも、ぜひどうぞ。
十四代龍月の歴史
なぜそんなにも「十四代 龍月」は高価なのでしょうか。
それには、当時の高木酒造の経営戦略が関係しています。
高木酒造は山形県村山市に構えている蔵元です。
創業年はなんと1615年!400年以上も経営している老舗の蔵元になります。
十四代の商品化は、日本で辛口の日本酒がヒットしていたころでした。
十四代の武器はフルーティーさなので、当時の日本酒のブームに一石を投じる形で台頭しました。
そして高木酒造は闇雲に十四代を販売するのでなく、卸す酒屋を絞るなどして希少性をウリにする戦略をとりました。
この戦略によって、常に最高の状態でお客様に届けることに成功しました。
現在、十四代と名のつくものは高級品というイメージが世に定着しています。
もちろん「十四代 龍月」も例外ではありません。