バランタインの歴史

 

バランタインは1853年に世界初のブレンデッド・ウイスキーが製造されたことをきっかけに、ジョージ・バランタインがグレーンウイスキーとモルトウイスキーを混ぜ合わせるなど、ウイスキーブレンドの技術を磨き始めたことから誕生します。1869年には、のちのバランタイン17年の礎となる独自のブレンデット・スコッチの完成を目指して研究を続けていました。1895年には第六代イギリス女王であるヴィクトリアがバランタイン社を訪れ、バランタイン社に王室御用達の称号を授与しています。このことは、バランタイン社が世界的発展を遂げる第一歩となったと言えるでしょう。1910年には「バランタイン・ファイネスト」を発売しました。その後、このバランタイン・ファイネストはバランタイン社の主要輸出製品となっていきます。世界中に輸出され、1986年にはウイスキー販売数が世界で第3位になりました。日本でも様々な場所で販売されているため、購入しやすいウイスキーです。価格は1本数千円から数万円するものがあります。

【 2017/10/30 現在買取価格 】

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ニッカウヰスキー・創業の地の名を冠した自信作

「ここでは自分の理想のウイスキーは作れない!!」
そんなことを思った、ウイスキー部門の責任者・竹鶴政孝はサントリーを退職。そして向かった地は、北海道余市郡余市町……うーん、何ともロマンあふれる話……これが、1934年のこと。余市蒸溜所、そしてニッカウヰスキーの始まりです。

1989年、そんな蒸溜所の名前を冠した、シングルモルトウイスキー「余市」が発売になりました。当初は熟成年数を表示しない、ノンエイジのみのラインナップだったのです。

しかし、エイジ表記に慣れた世を鑑みたのかどうなのか、後に「余市10年」「余市12年」「余市15年」「余市20年」といった商品も発売される様になりました。

これは、同じくニッカのもう一つのシングルモルトであり、蒸溜所の名前を冠している「宮城峡」も同じこと。最初はノンエイジのみのラインナップ、後に10年、12年、15年が存在しています。

やはりニッカでも起こった、原酒不足


そんな余市にしても、宮城峡にしてもニッカの自信作は出来が良かったのです。
世界的なコンクールで次々と賞を獲得、ぐっと需要が増した所に、今度はNHKの連ドラの題材となりヒットする、また需要が増した所に、今度はどこかの国の人たちが買い占める……となってしまい、たちまち原酒が不足してしまいました。

そこで2015年、余市も宮城峡も「○年」表記がある商品の製造を中止。
○年しばりをしてしまうと、使用できる原酒が限られてしまうからですね。現在販売されているのは、発売当初と同じノンエイジのみとなっています。

それでは、熟成が進んだ原酒は何に使われているか? というと「竹鶴」。
これは、余市蒸溜所と宮城峡蒸溜所の原酒をブレンド(ヴァッテッド)したもので、創業者の名前を付けているぐらいですから、ニッカの看板ウイスキー。
余市や宮城峡を捨ててまで、造り続けたかったのが竹鶴ということですね。

ですから、竹鶴は同じモルトウイスキーでも「ピュア」モルトとなっていますし、余市や宮城峡は「シングル」モルトという表記になっている。
単一の蒸溜所で造られた原酒だけでできていませんから、シングルは名乗れないのですね。
 

ノンエイジ以外の余市もやはり、高いのです

ですから、余市も宮城峡も現在手に入るのはノンエイジのみ。
限定品はもちろん、通常に販売されていた余市10年、余市12年、余市15年ですら、まあ普通に手に入ったころには考えられない値段で、取引されているもの。
もちろん、余市20年などは言わずもがなといったところです。

ですから、飲まないウイスキー、きっとお家にあるはずなんですよね。その中に、余市がないか探してみませんか? そして見つかったなら、ぜひ私たちにお問い合わせください。

こんな高値がいつまで続くのか? このことは誰にもわかりませんが、人の心は移り気なことぐらいは、誰でも知っていることなのです。
ですから、今のうちに売ってしまうのがいいと思うんです。ぜひ、当店にご相談を!!

オールドパーの歴史

 

南西スコットランドのエアシャーという地域出身のジェームズとサミュエルのグリーンリース兄弟が、1871年にグリーンリーズ・ブラザーズ社を設立します。そこで生まれたウイスキーがオールドパーです。オールドパーのネーミングは、英国史上最長寿の152歳(1483~1635年)まで生きたといわれている伝説の人物「トーマス・パー」の名前から考案されました。ボトルにも「10代の治世を生きたトーマス・パーのように、時代がどんなに変わろうとも変わらぬ品質を約束する」と書かれています。
日本との因縁も古く、1873年にはイギリスのウイスキーとして紹介されています。岩倉具視の欧米視察団が1871年にイギリスから日本に持ち帰ってきたとも言われています。それ以降、日本の上流人士や政治家などに愛好され、吉田茂や田中角栄が好んで飲んでいたことも有名です。

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